2005年05月11日

“85/05 幻のつくば写真美術館からの20年” せんだいメディアテーク

theque1.jpg 仙台に行ってきた。ある国賠裁判の傍聴が主たる目的だったが、時間をみてせんだいメディアテークへも足を伸ばした。裁判への言及は他日として、ここでは同館で開催中の写真展と建築としてのせんだいメディアテークを中心に少し書く。

 “85/05 幻のつくば写真美術館からの20年”は、1985年の科学万博[つくばEXPO'85]開催にあわせて企画された“つくば写真美術館'85”の再現展示に焦点を当てた企画展で、展示は飯沢耕太郎・伊藤俊治・谷口雅・平木収・横江文憲ら6人の若手キュレーター(当時)によって企画された写真展「パリ・ニューヨーク・東京」への出展作による第一部と、
その後現在までの20年間に登場した新たな写真表現の在り方を特集した第二部とにより構成されている。
 
 出展総数は約100作家、250作品に及ぶ。アンリ=ヴィクトール・ルニョー、マキシム・デュ・カンといった19世紀半ばのものから、ナダール、アジェ、ブラッサイをへてマン・レイ、メイプルソープ、ベッヒャー夫妻へと至る第一部パリおよびニューヨークのセクションは、パリ部門が19世紀から20世紀前半の作品を中心とし、ニューヨーク部門が20世紀半ばから後半を中心としているため、時系列的に現代写真史を総覧するかのような趣があった。
 この構成は、第二次世界大戦を境目として芸術展開の中心がパリからニューヨークへと移行したことを直截に反映したものであり不自然な観はなく、むしろ85年の時点でよくぞここまでと感心するしかないほどの充実度を示している。(全出品目録は[こちら]

 展示構成としては第一部東京と、85年以降の日本における現代写真を特集した第二部があとに続く。企画主体の違いがあるとはいえ、後半の二つのセクションは時系列的にも内容的にも連続しており、実質的にはパリ/ニューヨークを前半として、東京/日本を後半に置き、19世紀パリ、20世紀ニューヨークに続く21世紀日本の写真表現を眼差す形を採っている。
 第一部の東京部門は中山岩太、ハナヤ勘兵衛、桑原甲子雄、といった戦前に活躍した写真家に始まり、木村伊兵衛、石元泰博、細江英公、土田ヒロミらをへて、高梨豊、荒木経惟らプロヴォーク世代へと至り、第二部では鯉江真紀子、楢橋朝子、オノデラユキ、といった今世紀に入ってからの活躍が華々しい写真家たちの作品が中軸を占め、各々が現代における写真表現の極に立つともいえる森村泰昌、森山大道、宮本隆司、畠山直哉らの作品により展示の最後を締めている。

sendaitheque.JPG このように姿勢を大上段にとった展示構成のため、総覧的展示でありつつも85年以降の海外作家による作品が皆無なことや、日本の写真家でも中平卓馬や東松照明、土門拳、杉本博司といった重要作家が抜けているなど粗を探せばキリがない。だが写真表現の展開を巡る大きな流れのなかで、いくつかのまとまりが互いに影響しあって生起退行していく様をこの展示ほどに十全と感じ取る経験を私は初めて持ったように思う。そういう意味で個人的にも価値ある展覧会だった。ありうべき写真美術館は、このような常設展示をまず持つべきではないか。

 またこの6人のキュレーターの構成が興味深い。現在日本には写真専門の部門をもつ美術館として東京都写真美術館、川崎市市民ミュージアム、横浜美術館などがあるが、この6人のうち平木はのちに川崎市市民ミュージアム、金子・横江はそれぞれ東京都写真美術館に勤めている。また谷口は現在東京総合写真専門学校校長であり、飯沢・伊藤の名を欠いたまま80年代の日本における写真評論を語ることは、ほとんど何の意味も持たない。
 これは一重に80年代前半の時点でこの6人を招集したツァイトフォトサロン代表の石原悦郎の炯眼によるものと言ってよく、つくば写真美術館実現に向けて奔走した氏の熱意がなければ、現在における日本の写真表現の在り方はもう少し別のものになっていたとしても不思議はない。


 せんだいメディアテークへの訪問は、今回が初めてとなる。伊藤豊雄による設計で国際的にも知名度の高いその建物は、実際に入ってみると思いのほか狭く感じ、目玉とも言える13本の鉄骨独立シャフトがこの感覚に決定的な影響を与えている。こういう文句のつけ方はあまりにも不遜というか、これら13本のチューブと各階を仕切る7枚のプレートによる構成(右下図)が選択されたことの最も大きな理由の一つは建物の透明性であるのだろうから、ある意味ミもフタもない物言いではある。けれど感じてしまったものは仕方ない。素人はだから怖い。(※)

mediatheque.jpg とりわけ柱の役割を果たす鉄骨独立シャフトの傾きはデザイン至上主義というか、使用者にとっての便がほとんど感じられず、といって利便性を犠牲にするほどに良い体感効果を生んでいるようにも思えない。たしかにこれがあることによって“抜け”のある空間が確保された点は大いに評価できる。だが少なくとも、とくにギャラリー空間などにおいて施設を利用する側がこのデザインをうまく使いこなせているかといえば否だろう。
 おそらくギャラリーと並んで公共機能の中核を担う図書館が休館日で入れなかったせいもあるのだろうが、この違和感のためか全体としてどこか施設として未成熟という印象を持った。


 ところで今回の展示作品中、特異な印象を受けたものに飯田鉄の作品がある。1984年に制作され<境界>と題されたそのモノクロの写真作品では、川岸に立って向こう岸を観る視点が採られており、頭上を越えて鉄橋が三本、一直線に向こう岸へと伸びている。写真上部において空への視界を大きく阻む鉄橋はそのいずれもが鉄道の線路を載せ力強く重厚であり、写真下部においてそれらを映し出す川面の揺らぎとの間に明快なコントラストを描いている。

 世界の写真史を彩る大量の作品群のなかでこの作品にとりわけ強いショックを覚えたのは、その作品の前に立ったまさにその瞬間、写真におさめられたその光景を自分が前に夢で見たことに思い至り、さらにはこの写真を前にしたことにより初めて、夢で見て長く記憶に残っていたその光景を自分はかつて実際にも見たことがあるのだと分かったからだ。
 展覧会実現のわずか一年前に撮られたこの作品に対しては、企画者も他の作品群とは少なからず別様の関心に基づいて展示リストに加えたのではないかとも考える。

 子供の頃、親に連れられてつくば万博には行ったが、つくば写真美術館へは行かなかった。存在すら知らなかった。20年後のいまになって再現されたその展示を、わざわざ仙台まで足を伸ばして観たことにより起きたこの作品との遭遇をどう表現して良いものか、ともかくなかなかに奇妙な体験ではある。写真を観る喜びの一端は、このようにしてときに他者の回想的な視線をもたやすく直に取り込んでしまう、写真というメディアのもつ大らかさにもあるのかもしれない、として本稿をここで終える。


“85/05 幻のつくば写真美術館からの20年” せんだいメディアテーク 2005年4月24日-5月22日
前回記事と物言いがほのかに矛盾している。半ば冗談だが、感性の語を巡ってはさおさんのコメントもあり、その後考えるところがあり、後日追記の予定。
画像(上):荒木経惟 <少女世界>[1983](美術館HP内)より
画像(中):著者撮影(2005年5月9日)
画像(下):Website"The Virtual Architecture"より
posted by kushán at 23:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/3555427

この記事へのトラックバック

甦る「つくば写真美術館」
Excerpt: 仙台のメディアテークで、「幻のつくば写真美術館からの20年」と題された写真展が開
Weblog: 単身赴任 杜の都STYLE
Tracked: 2005-05-15 10:01
[ Main Page | Another Site ]


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。