2005年08月06日

お知らせとお詫び

 
一身上の都合により、当blogの更新を終了します。

記事内容や、最近の更新がないことについてのお問い合わせをいただいた方々、
いままでほうっておいてしまいごめんなさい。

リンクしてある他のページも同様です。
これからのつもりで楽しみにしていただけに、残念です。

更新せずともページビュー自体は日々一定してあるようです。
なかには見ず知らずのかたのお役に立てるケースもあるようなので、しばらくはこのままにしておきます。

これまでちゃんと読んでもらいたい人に、すこしは読んでもらえていたらとおもいます。
それだけでしたから。
 
 
【関連する記事】
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2005年07月27日

ごめん

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2005年06月25日

綿井健陽 “Little Birds -イラク戦火の家族たち-” [日本'05] K's cinema

littlebirds0.JPG ヴィデオジャーナリストの綿井健陽は、バグダット市内へ侵攻してくる米軍の戦車を映し出しつつ、この作品の冒頭でこう呟く。「なんということだ」 彼は“日本人”という、もはや敵国人となった属性を引きずることで幾度となく罵声と蔑視を浴びながら、それでもイラクの人々の側に立ち、ひたすらにカメラを回し続けていく。
 3歳と5歳と7歳の子供を失った父親アリ・サクバンは、自宅に隠し持つAK47のまだ使っていない弾倉を見せてこう言い放つ。「この銃は、いつかアメリカ兵を撃ち抜くためにある」
続きを読む [文量:中]
posted by kushán at 06:12| Comment(2) | TrackBack(5) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月07日

『コミュニケーションズ』 構成・演出 渡辺えり子 新国立劇場

20050421_01.jpg “コミュニケーション”をテーマとするオムニバス・コント劇。11人の劇作家による書き下ろし台本を演出の渡辺えり子が一つにまとめ上げ、9人の役者が演じるという構成。全体的には散漫で練りに欠けるという観が拭えないが、個々に良いシークエンスは幾つかあった。

 個別の台本では、ある朝ねむりから覚めると頭が有田焼になっていたという高橋徹郎の「有田焼の男」、熟年夫婦が互いをいたわる目的で旅行に出るが、ふとした会話の綾から互いの浮気の暴露や過去の傷に塩を塗り合う泥試合をコミカルに始める、綾田俊樹の「フルムーン」、
続きを読む [文量:中]
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2005年06月04日

4pm 28 Mar. 2005

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2005年06月03日

姜文 “鬼子來了” [鬼が来た! / Devils on the Doorstep, 中国'00]

devilsdoorstep.jpg 1945年旧正月前のある深夜、中国・華北の寒村。貧しい農民夫婦の家に大きな麻袋が二つ、謎の男により持ち込まれる。袋の中には後手に縛られ猿ぐつわを噛まされた日本兵とその通訳が。

 モノクロの粗い画面の仕上げが印象に際立つ。たとえば夜な夜な開かれる村人たちの合議のシーンや、クライマックスの村人たちと日本軍兵士たちが催す宴のシーンに登場する焔とその照り返しの表現などに、単なるレトロ調を狙ったのではない、
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2005年06月01日

井手茂太 “井手孤独 【idesolo】” シアタートラム

idesolo_8.jpg ダンスカンパニー“イデビアン・クルー”を率いる井手茂太によるソロ公演。基本的に「楽しいダンス」。振付のなかで笑いを誘う仕草が不可欠の要素として機能するあたりは、伊藤キムや近藤良平に通じるものを感じる。ベタさを確信犯的に押し出すことで踊る自身に距離を置く試みとでも言おうか。ここらへん、女性の振付家により付される“笑い”とは可笑しさの質が明らかに異なっている。
 舞台は柔道場の緑の畳を地とし、試合場を示す赤い畳による正方形の枠線を大きく施す、というデザイン(畳はむろんイミテーション)。公演の前半に突如降ろされ笑いをとった“俺”と大書きされた垂れ幕も、
続きを読む [文量:小]
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8pm 27 Mar. 2005

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2005年05月31日

physical awareness ll : 透き徹る事故

Bill Viola memoria, 2000.jpg われは我が慾を知る。我が罪は常に我が前にあり。  [旧約聖書 詩篇第五十一章]


 スイッチを押してから映像がうつりでるまでに、しばらくの時間がかかる。呆けたように画面を眺めてやり過ごす。アナログのテレビにはなかったこの時間の使いみちを、まだ身につけていないなとぼんやりおもう。しばらくすると、大写しになった若い女の表情が浮かびあがる。顔は涙に濡れ、表情はゆがんで見える。あらかじめ音を消しているこのテレビでも、女が感極まっていることはわかる。ただそれが歓喜ゆえのことなのか、あるいは悲しみや怒りによるものなのか、映りでた最初の瞬間はわからない。だが女の唇が震え、
続きを読む [文量:長大]
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2005年05月22日

4pm 26 Mar. 2005

posted by kushán at 18:49| パリ ☀| Comment(15) | TrackBack(0) | 旅聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月17日

井土紀州 “レフト・アローン” [第一部/第二部] (日本'04) アテネ・フランセ

leftalone11.JPG 冒頭、1920年モスクワ赤の広場、レーニン演説の写真が映し出される。傍らにトロツキーが写っているバージョンと、そうではないバージョンがスクリーン上で並置される。古風だ。まじめで根暗そうな若い女性によるかなり澱んだナレーション。陰鬱な感じもベタベタで悪くない。

 イントロだけでは本気か冗談かの区別が付かず多少は身構えたおかげもあり、ほとんど全編をインタビュー・対談と新聞・雑誌記事や著作からの引用で占めるこの作品も、
続きを読む [文量:大]
posted by kushán at 19:27| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

近藤良平 “踊らされた人生” 早稲田大学小野記念講堂

Kondoruzu2.jpg 早稲田大学小野記念講堂の柿落とし公演の一環として催された“踊らされた人生”は、ダンスカンパニー・コンドルズを率いる近藤良平によるレクチャー&パフォーマンス・イヴェント。

 コンドルズの特色は、全員男、学ラン、素人的動き、の三点。とはいえ最後の点に関してはすでに活動開始後数年を経て、もはや素人の身体ゆえの面白さを出すことは難しくなっている様子。学ランをアイデンティティとする点も、早晩行き詰まりそうな気配。
続きを読む [文量:中]
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2005年05月13日

笠井瑞丈 ソロ・ダンス “ジギーに憧れて” 世田谷美術館エントランス・ホール

kasaimitsutake.jpg 笠井瑞丈のダンスは今回がたぶん初見。かさいみつたけ、と読む。

 冒頭は舞踏張りに背中のうごめきや、ぬめるような四肢の伸縮で魅せ、次第にブレイクダンス的な踊りが混じってくる。中途でトークによる中休みを置き、ダンスというよりは元気の良い高校生が転げ回りのた打ちまわるようなシークエンスがあったあと、
続きを読む [文量:小]
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2005年05月12日

テオ・アンゲロプロス “永遠と一日” (Greece+Fr+Ita'98)

angelopletday.JPG
 映画“永遠と一日”は、老人の最後の一日をテーマにした作品。ギリシアの街、テサロニキを主舞台とする。

 詩人として生きた主人公の老人は数年前に最愛の妻を亡くし、自身も不治の病に侵され最期の旅に出ることを決意するが、旅立ちの日にふとしたことからストリートチルドレンとして暮らす少年を助けることになる。30年前の娘が生まれた日、妻が残していた自身への秘かな恋文。
続きを読む [文量:中]
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2005年05月11日

“85/05 幻のつくば写真美術館からの20年” せんだいメディアテーク

theque1.jpg 仙台に行ってきた。ある国賠裁判の傍聴が主たる目的だったが、時間をみてせんだいメディアテークへも足を伸ばした。裁判への言及は他日として、ここでは同館で開催中の写真展と建築としてのせんだいメディアテークを中心に少し書く。

 “85/05 幻のつくば写真美術館からの20年”は、1985年の科学万博[つくばEXPO'85]開催にあわせて企画された“つくば写真美術館'85”の再現展示に焦点を当てた企画展で、展示は飯沢耕太郎・伊藤俊治・谷口雅・平木収・横江文憲ら6人の若手キュレーター(当時)によって企画された写真展「パリ・ニューヨーク・東京」への出展作による第一部と、
続きを読む [文量:大]
posted by kushán at 23:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

physical awareness : 感性の論理へ

bacon_study3.JPG 人の死は不可視だ。当然の話だが、それゆえテレビ映像が映し出せるのはもっぱら周囲を彩る人間たちのいとなみで、その人の死そのものではありえない。その人の生前の振る舞いをVTRで流しても、たとえ棺桶のなかを映し出しても、死そのものは置き去りにされ、じゅうぶんに語られることもなく、画面は次の映像へと足早に切り替わる。

 カトリックの信者ではなく、これまで彼に対して深い関心を覚えたこともない私にとって、法王ヨハネ・パウロ2世の死はその始めから最後まで、そのようなものとして感じられた。メディアが主として伝えるのはむしろ彼の死を以って進行する政治であり、死者ではなく息づく生者のいとなみであり、
続きを読む [文量:長大]
posted by kushán at 23:57| Comment(4) | TrackBack(1) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月08日

11am 25 Mar. 2005

libro.JPGthe pirates metaphysical




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2005年04月06日

2005年04月05日

2005年04月04日

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